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2020年アニメ

「イエスタデイをうたって」完全初見レビュー

TVアニメ「イエスタデイをうたって」公式サイト
TVアニメ「イエスタデイをうたって」公式Twitter

公式サイトより
©冬目景/集英社・イエスタデイをうたって製作委員会

2020年に放送されたTVアニメ「イエスタデイをうたって」を予備知識無しの完全初見状態で視聴したので、感想やレビューなどを綴っていこうかと思います。また私は原作に関しての知識は皆無でアニメのみの視聴ですので、アニメから得られる情報のみに基づいてレビューを行います、その点に関してはご了承ください。それでは参ります。

・全体像
・晴と陸生の再開
・浪が陸生のバイト先へやってくる
・陸生と映画館へ!
・話が進むにつれて色々と深刻に…
・とんでもないご都合主義の最終回…なんなの?
・晴、本当にそれでいいのか?
・補足:5話と6話について
・余談:公衆電話と携帯電話
・最後に

・全体像

第1話 社会のはみ出し者は自己変革を目指す
©冬目景/集英社・イエスタデイをうたって製作委員会

社会人2人と高校生ぐらいの年齢の2人の4角関係の恋愛ストーリーです。高校を中退してバイトをして生活をしている(はる:画像の左から2番目の人)は主人公の陸生(りくお:画像の左の人)に一目惚れして恋をしている。しかし、陸生の方は高校生の時の同級生の榀子(しなこ:画像の右から2番目の人)のことが気になっており、榀子の幼馴染である(ろう:画像右の人)はこの2人の関係に対して疑問を感じている。
4角関係の恋愛ストーリーではあるが、爽やかで瑞々しく活気あふれる雰囲気などは漂っていない。恋をするがゆえに生じてしまう劣等感、嫉妬、愛憎などと向き合ったり目を背けたりしながら悩んだりする登場人物たちが描かれている。とはいえ、そこからヤンデレヒロインが登場したりだとか、殺意が芽生える人が現れたりするみたいな展開には決してならない。「普通の平凡な人間関係」と「どんよりとしたドロドロの重苦しい恋愛」という2つの要素を足して2で割った感じの恋愛が終始続いていくというような物語ですね。人間だからこそ感じる筆舌に尽くしがたい複雑な心情や細かい心の動き、機微に触れることこそがこのアニメのポイントであり、醍醐味と言えるでしょう。

・晴と陸生の再開

第1話 社会のはみ出し者は自己変革を目指す
©冬目景/集英社・イエスタデイをうたって製作委員会

大学卒業後、就職せずフリーターとしてコンビニでバイトをしている陸生はバイト勤務中にとある女性が明るく話しかけてくる、彼女がだ。陸生は彼女とは面識が無く、初対面のような対応をしていたが、晴曰く「陸生のこと、ずっと前から知ってる。」らしい、陸生はしばらく考えてみたがやっぱり思い出せないと晴に伝える。
晴は5年前に陸生の落とし物を拾って落としたことを伝えたことがあり、そのときに陸生と晴は出会っていたのである。陸生の方も急いでいる様子であったため「ありがとう。」と伝えてその場を後にしたのだった。たった一度のほんの少しの時間のやりとりしかできなかったから、陸生がそのことを忘れてしまうのも無理はないだろう。しかし、晴としては陸生に一目惚れする契機となった大切なひと時であるのだ。
晴から上記の話を聞くと、陸生もその時のことを思い出し、ここで本当の意味で再開することとなったのだった。
晴は陸生に最初に出会った日から、彼のことを思い続けており、純粋で一途な女の子という印象だ。のちに詳しく掘り下げていくが、陸生は榀子という女性のことが好きであり、晴もそのことはすでに知っているのだ。それでも陸生を振り向かせてみせると前向きな姿勢を見せて、彼に積極的にアプローチをかけていくシーンが続いてく。

第1話 社会のはみ出し者は自己変革を目指す
©冬目景/集英社・イエスタデイをうたって製作委員会

思いを寄せている女性、榀子が陸生の勤めているバイト先に顔を出したため、陸生は久しぶりに榀子と再会することになる。ファミレスでご飯を食べたり、一緒に帰路に就いたり、かつて同級生だったということもあり、いまでも仲よさそうな関係でいるのだなと読み取れる描写がある。第1話のタイトルにもあるように「自己変革」を試みるため、せっかく再開したのだから思い切って榀子に思いを伝えようということで1話で彼女に告白することになる。榀子が出し答えとしては友達としていたいとのことらしい。詳しい理由は最初の段階ではわからないが、陸生としても、けじめをつけておきたくて思いを伝えたとのことだ。特に苦しい思いはしていないと自分ではそういっているが、その日以来しばらく会っていなかったりとやっぱりフラれたことを引きずっているようである。榀子の方も髪をバッサリ切り、ショートヘアになっていることからその出来事による心境の変化があるのだろうと理解できる。

・浪が陸生のバイト先へやってくる

第2話 袋小路
©冬目景/集英社・イエスタデイをうたって製作委員会

「榀子とどういう関係なんだ!」と突然コンビニに押しかけてくる浪。浪は幼いころから榀子とは知り合いであり、彼女のこともよく知っている。のちに明らかになるが浪の兄「湧(ゆう)」が生まれつき体が弱く、すでに他界していて、榀子はその湧のことが好きだったのである。湧が亡くなった後も榀子の湧への思いは変わらずに残っているのである。浪はそれを知ったうえで榀子のことが好きなのだ。だからこそ、榀子と陸生の関係に対して納得のいかない様子でいて、疑問に感じているのだ。

・陸生と映画館へ!

第3話 愛とはなんぞや
©冬目景/集英社・イエスタデイをうたって製作委員会

第3話では晴が陸生に映画を見に行こうと勧誘する。好きな人と映画に行くことができるので晴も嬉しそうにしている。もちろん、陸生は特別晴に対して恋愛感情を抱いているわけではないので「デート」とは少し違うような気もするが、晴からしてみればデートかもしれない。微笑みの表情を浮かべている晴の姿もかわいらしく、好きな人と映画に行くことができるワクワク感というのも伝わってくる。一方で榀子が(陸生と晴の映画の約束の前日に)熱を出してしまって陸生は心配で榀子の家へ向かい看病することとなるが、徹夜して榀子の面倒を見ていたことにより陸生は寝過ごしてしまことになるのだ…。映画を見る約束の時間には当然間に合わず遅れて現場に到着したとき、そこに晴の姿はなかった。後から陸生は正直に熱を出した榀子の家にいて寝過ごした旨を伝えたがこの事情の中に「榀子」が登場していることもあり、かえって晴を怒らせることになったのだ。

心配なのはわかるけど、熱ぐらい一人でもなんとかなるわけだし、大切な約束がある前日に、しかも夜遅くまで起きてフラれた相手の方に目を向けていくなんて節操無いですよね。
晴からしたら瞬間的にカッとなってしまって憤りの念を陸生へぶつけることになる最悪の初デートだったのだが、次会ったときにはその出来事を引きずらずに笑顔で対応して会話しているシーンもあり彼女からは陸生より年下でありながら陸生よりも大人びているなあと感じ取ることが出来る一面を魅せる。
こんな優しい女性が目の前にいるのにフラれた女性のことを引きずる陸生に対して、見ている側としてはイライラしてきますね…。また、晴も晴でその出来事以来陸生と縁を切ればいいのになぜ陸生にそこまで固執するんですかね。私には彼はあまり魅力的に映らないですし、彼のどこを良いと思ってるのかいまいち理解できなんですけど…。晴の陸生を好きになる動機が小さいというのも少し感情移入しづらい要素となってしまってるんじゃないのかなあと感じます。

上記のように私は「見ている側としてはイライラしてきます」という表現を用いたが、苛立ったからこのアニメはダメな作品だと言っている訳では無い。むしろこの段階では強い物語性、視聴者へのメッセージ性のようなものが感じられるので高評価をしていきたいと思っている。他の例で言うと、ホラー作品とかジェットコースターとかがそうだ。人は基本的に「怖い」と感じること自体は不快なのだが敢えて恐怖を体感する作品を目にしたり、アトラクションに乗ったりすることだってある。つまり何を言いたいのかというと、登場人物のやりとりでイライラしてしまうということは、それだけ制作陣が彼らの心情などを巧みに表現し、リアルに体験させてくれているということでもあるだろう!

・話が進むにつれて色々と深刻に…

第7話 恋人たちの予感
©冬目景/集英社・イエスタデイをうたって製作委員会

榀子は先述した通り亡くなった浪の兄、湧のことを忘れられないでいる。兄弟ということもあり、浪の何気ない動作、癖など、目にするたびに湧のことが頭をよぎる。あくまで榀子としては幼馴染の頃の関係のままで浪と関わっていたいらしいのだが、成長していくにつれて浪の方は心境が変化している。彼らのお互いに対して抱いている感情のギャップが両者を苦しめているともいえるかもしれない。
榀子と浪の関係が複雑であることはご理解いただけただろうか。このアニメは最終回へと近づくにつれて「浪と榀子」だけでなく、「榀子と陸生の関係」や「陸生と晴の関係」についても縺れ合ってしまい事態が深刻化してゆくのだ…。
第1話で榀子にフラれた陸生は3話、4話、5話…と話が進んでいってもずーっと榀子と関わりを持っている。そもそも第2話の段階で榀子は「もう友達止めよう。」と陸生に提言していて陸生も「いいよ、俺もそう思ってた。」と発言し意見が一致しているのだ。にもかかわらず、面倒なことに「やっぱり友達でいてもいいのかな?いや、会わない方がいいのでは?やっぱり好きかも。でも恋人としているのは…。」みたいなどっちつかずの微妙な距離感のまま最終話あたりまで関わり続けるのだ。このような状況は浪が見ても、晴が見ても気分のいいものではない。
もし浪が彼らを目撃すれば「兄貴、浪自身、陸生、誰のことを見ているんだ?」と疑問に感じるでしょうし、
もし晴が彼ら2人を目撃したら「陸生のことを振っているくせにどうして陸生に関わろうとするの?」とこうなるわけです。
こうして陸生と榀子がウダウダやっているうちに2人でいるところを浪にも晴にも見られてしまい、浪、晴を傷つけることになる…。

とんでもないご都合主義の最終回…なんなの?

第12話 遠回り
©冬目景/集英社・イエスタデイをうたって製作委員会

最終話を見るまでは、もともとこのアニメに関しては高評価していく方向で話を進めるつもりだった。それぞれの関係のうまくいかないもどかしさを是非感じ取っていただきたい!とオススメしたい作品としてレビューを結論付けたかった。しかし、最終回で拍子抜けするようなわけわかんない展開になって私は動揺、且つ狼狽してしまった。どういうことか説明しよう。

・晴、本当にそれでいいのか?

第10話 はじまりの新年
©冬目景/集英社・イエスタデイをうたって製作委員会

最終回で結局どうなったのかというと、陸生が晴に「お前のことが好きだ!」と告白してしかも、それに対して晴も嬉しそうにしてその告白を受け入れてハッピーエンドみたいな流れになっているのだ。意味不明すぎないか?
そもそもこのアニメ内において陸生が晴に好意を抱いていると読み取れるような描写なんてほとんどないのである。いや、皆無と言っても過言ではないかもしれない。榀子に対して好意を抱いていると読み取れるシーンなら結構ある。だが(もう一度言うが)晴に対してはないのだ。
晴の家が空き巣に狙われて被害に遭い、陸生が心配で駆け付けるシーンがあるが、心配だから駆け付けたのであってそこに恋愛的感情があると読み取れるような描写はない。感覚で言うと娘や息子の帰りが遅く心配になる親の心境に近い。これだって心配はしているが、そこに恋愛感情は含まれない。
陸生に会うために陸生のいない留守の家の外で寒い中ずっと待ち続けた晴を陸生は家にあげることになるが、これも待たせてしまった申し訳なさからとか心配の類で家に上げたのだ。これも恋愛的感情を読み取れるような描写とはなっていない。
最終話で晴が言っている「榀子先生にフラれたから私のところに来たと、そういうわけですね?」というセリフにこのアニメのご都合主義要素の本質が詰まっているといえる。
晴も晴だ。このような男性に好きになってもらえてなんで喜んでるんですかね…。晴はなかなか報われない気の毒な女性として描かれていて、私は幸せにはなってほしいとは思っていたんだけど、こんなの本当の意味で幸せじゃないでしょ…。晴…本当にそのような男性に告白されてうれしいの…?

せめて「晴と陸生が結ばれる」という展開にしたいのであれば、最終話で陸生が榀子にフラれた後、その後に陸生と晴の2人で過ごす時間をもっともっと描写していくことが必要ではないだろうか。その期間の中でお互いを理解したり、楽しそうにしている描写を取り入れたりして、ようやく告白するという流れに持ち込まないと不自然すぎますよ。

・補足:5話と6話について

第5話 ミナトという男
©冬目景/集英社・イエスタデイをうたって製作委員会
第6話 ユズハラという女
©冬目景/集英社・イエスタデイをうたって製作委員会


第5話では湊航一(みなとこういち)、第6話では柚原チカ(ゆずはらチカ)、という人が登場する。かれらは5話6話において晴や陸生と関わることになる人物なのだが、この5話6話以降では登場しないので作品全体として彼らの登場にあまり意味を見出せなかった。彼らが晴や陸生などに何かを気づかせるきっかけを作っているような感じもしないし、彼らと出会った経験が晴や陸生などになにかしらの力や教訓を与えているような感じもしない。一言で言うと「登場させる意味ある?」と疑問に思わざるを得ないということだ。湊さんも柚原さんもかなり落ち着いていて、そこまで迷惑とかかけたりしていないし、私的にも優しい人たちだなという印象を受けた。私個人的にはもう少し湊産や柚原さんのことを知りたいと思ったから彼らについてもっと深堀りしてほしかったなと思った。決して私は彼らがいらないと言いたいわけでない、むしろ彼らに出番や彼らの登場の必要性を裏付けるシーンなどをもっと加えるべきだったのではないだろうかと感じたということだ。私は最終回に至るまでのなにかしらの伏線になっているのかな?とずっと身構えていたので、最終回にも登場することがなくて「結局彼らは何だったんだろう。」と自分の中では消化不良のままアニメは幕を閉じることとなったのだ。

・余談:公衆電話と携帯電話

第5話 ミナトという男
©冬目景/集英社・イエスタデイをうたって製作委員会

晴が映画館の前で陸生のことを待っているあたりになって私も初めて気づいたのだが、このアニメでは連絡手段として「携帯電話」が登場しないのだ!公衆電話や家の固定電話を使ってやり取りをしていることから1990年代頃の日本が舞台なのかなと予想しながら視聴していた。右の画像を見ていただきたい。私は公式サイトで提供されている画像しか使わないため、公衆電話のシーンの切り抜きの画像を用意できなくて申し訳ないが、カメラの画像なら公式でサイトで公開されていた。カメラでもこの作品の時代の雰囲気をつかむことが出来る。いわゆる「フィルムカメラ」だ。「写真家」とかでもなくカメラの専門家とかでもないから詳しいことはわからないが、フィルムカメラって今でも売ってるのかな?今の若者世代の子はフィルムカメラも公衆電話も見たこともないんじゃないのかな。

一口に「恋愛」と言っても時代背景が違えば、現在(2020年)の我々が考える恋愛の漠然としたイメージとは違うということを理解しなければならない。
どういうことかを説明しよう。
話が少しアニメ本編とは逸れるので興味ない人は青文字だけ読んで、それ以外は読み飛ばしてくれてもいい。例としてガラケーを引き合いに出そう。
・「既読」システムがないメールという存在。
・好きな人だけ「着メロ」を変える。
・好きな人からもらったメールに鍵を付けて見直して携帯を見つめる。
・ガラケーだからこそ引き出せた想いのこもった文章。

これらはスマホやiPhoneの「メール」では決して引き出せない要素だ。ガラケーだからこそ出てくる独特の味である。送受信するときのあの間とかまさにガラケー特有のものだろう。
私は思う、「恋愛においてガラケーって意外と重要なアイテムだったんじゃないかな」と。思い出補正とかも多少あるのかもしれないが、スマホとかでは経験できない不思議な感情が渦巻いていたように思う。
このアニメでは、持ち運べる電話機が存在しないからこそ待ち合わせする際にもしっかり場所を(今以上に)念入りに伝えたりする必要がある。連絡手段が少ないからこそ待ち合わせの場所に陸生がやってこなかったら(今以上に)心配や不安に苛まされることだろう。

要するに、現代の我々が抱く漠然とした恋愛のイメージとは切り離してアニメを視聴しないとこのアニメの良さを理解できないんですよ!ということを私は強く主張したいということだ。

・最後に

最終回見るまではかなり釘付けになって視聴していたので、ラストの意味不明さ加減にはがっかりした。これは原作はどうなっているのかわからないがまさか演出ミスとかではないですよね。そもそも最終回の展開に疑問を感じているのって私だけなんですかね…。それ以外に関してはよかったです!こういう言語で置き換えられないようなむず痒い感じこのアニメだからこそ引き出すことが出来る要素だと思います。

それでは、今回はこれでレビューを終わります、失礼します。

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